識 る
外陣
びんずる尊者像
本堂正面から外陣に入ると最初に目にとまる像がびんずる(賓頭廬)尊者です。お釈迦様の弟子、十六羅漢の一人で、神通力(修行者が得られる超能力に似た力)が大変強い方でした。お釈迦様から人々を救うことを命じられた説話から、いち早く駆けつけられるように外陣にいらっしゃいます。俗に「撫仏【なでぼとけ】」といわれ、病人が自らの患部と同じところを触れることでその神通力にあやかり治していただくという信仰があります。正徳三年(1713)の安置以来300年以上の間人々に撫でられ、今は元のお顔が分からないほど磨り減ったお姿は、人々がそのお力にすがった信仰の証と言えるでしょう。ミシュランガイドの3つ星にも選ばれています。因みに善光寺自体は2つ星です。
行事
妻戸台
びんずる尊者の左手にある一段高くなった舞台が妻戸台【つまどだい】です。鎌倉時代、時宗の二祖他阿真教【にそたあしんきょう】上人の一行によって、当時の本堂前庭の舞台で踊り念仏が奉納されました。現在外陣にある妻戸台は、その名残といわれています。妻戸には直径約1mの大太鼓や鉦鼓【しょうこ】などが置かれています。毎朝お堂が開かれる際や、毎月15日に行われる大般若会【だいはんにゃえ】では、境内に大きな太鼓の音が響き渡ります。また、日々の法要の際には、瑠璃壇からの鐘の音と妻戸の鐘の音が呼応して、荘厳な雰囲気が醸し出されます。
親鸞松
びんずる尊者像の脇に、一本の松が生けられています。これは親鸞松【しんらんまつ】、または親鸞聖人お花松【おはなまつ】と呼ばれています。鎌倉時代、親鸞聖人は配流先の越後から関東へ向かう途中、善光寺に百日間逗流されました。その折、善光寺御本尊に松の木を奉納されました。松は常緑樹ですので、一年中御本尊をお祀りしたいとの思いが込められたのでしょう。このことから、善光寺では一年を通して松のお飾りをしています。
閻魔像・浄玻璃の鏡
妻戸台の西側に閻魔像【えんまぞう】がお祀りされています。私たちは死後四十九日かけて十王に裁かれるといわれ、その十王の中で最も有名なのが閻魔様です。そのお姿や昔話などから怖い印象が強い閻魔様ですが、慈悲を司るお地蔵様と表裏一体の存在とされています。
戦前までは閻魔像の前を通ってから内陣へと入っていきました。閻魔様の前を通るということは死を迎えることを意味しており、内々陣には極楽である瑠璃壇があることから、ここから仏様の世界へ生まれ往くという極楽往生を表しています。
また、閻魔様が持つ生前の行いを写すとされる浄玻璃の鏡【じょうはりのかがみ】は参拝者の出口付近にあり、参拝後に身も心も清浄になった穢れ一つないご自身の姿が映し出されます。
内陣
改札を入りまず進むのは、約百五十畳敷きの広大な畳の空間が内陣【ないじん】です。この空間は、参拝する方々がお参りをする場です。歴史を紐解けば、内陣は江戸時代までは多くの信徒が一晩念仏を唱えながら翌日の朝事を待った場所です。内陣に座ると、目の前には僧侶がお経を読む場である内々陣があり、視線を上に写すと旗鉾【はたぼこ】や華慢【けまん】など、信徒から奉納された装飾具や、来迎二十五菩薩像などを間近に見ることができます。
また、絶対秘仏である御本尊様のお部屋である瑠璃壇と善光寺を開かれた御三卿【ごさんきょう】の前にそれぞれお焼香台が用意されています。
来迎二十五菩薩像・百観音像
内陣と内々陣を隔てる欄間【らんま】を見上げると、来迎二十五菩薩像【らいごうにじゅうごぼさつぞう】と百観音像【ひゃっかんのんぞう】が燦然と輝いています。来迎とは、極楽浄土からこの世へ阿弥陀如来と諸菩薩達が往生人をお迎えに来る光景を表しています。
この来迎像は、実際には二十五体の菩薩形【ぼさつぎょう】像と一体の比丘形【びくぎょう】像(剃髪の僧形)より成っています。善光寺は霊場巡りの番外札所として特に結願にお参りされる寺であり、来迎二十五菩薩像の左右に西国・坂東・秩父の各観音霊場の御本尊が並んでいます。
弥勒菩薩像・地蔵菩薩像
内々陣を正面に左に弥勒菩薩像【みろくぼさつぞう】、右に地蔵菩薩像【じぞうぼさつぞう】が安置されています。弥勒菩薩は現在天界の中の一つの兜率天【とそつてん】で、天人のために説法されていますが、五十六億七千万年後にこの世に出現され、悟りをひらいて衆生を導く仏様となることをお釈迦様に予言された菩薩です。この像に関しては阿弥陀如来像の様相が濃くみられますが、残されている古図にも「ミロク」と記載されています。地蔵菩薩は、弥勒菩薩がお悟りを開かれるまでの間、六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道という六つの迷いの世界)に輪廻して苦しむ衆生をお救いくださる菩薩で、錫杖と宝珠を手にされています。どちらも娑婆世界にいる私たちを救ってくださる菩薩様です。