善光寺法話

第9回  両足尊(りょうぞくそん)の教え

善光寺では、山門の落慶を祝して、山門特別拝観を実施しております。山門から眼下に広がる門前町のたたずまいも、また格別ではないでしょうか。

さて、山門の西側には石塔や石仏がひっそりと佇んでいます。その中、一段高く木枠で囲まれた所があります。ここには仏足石が安置されています。これは仏さまの足裏を石に刻んだものです。足の裏にはいろいろな模様が刻まれていますが、特に足の真ん中にある輪に真っ先にお気づきになられるかと思います。これは三十二相(仏さまの優れたお姿のこと)の一、「千幅輪相(せんぷくりんそう)」といい、仏さまが法(教え)を説くことを意味しています。仏足石とは、元来、お釈迦さまが教えをお説きになった場所を示すために、その足跡を石に刻んだものと言われています。

この「足」ということに連関して、お経の中には、両足尊とか、二足尊という言葉が出てきます。この二つの言葉は、両足の生物の中で最も尊いお方ということ、すなわち、仏さまのことを表しています。又、両方の足をそれぞれ戒定(かいじょう)、福慧(ふくえ)として、仏さまはこの二つの足で法界を遊行し説法するので両足尊というのだ、という説もあります。

こうした難しいことはさておき、大切なことは、仏さまも私ども凡夫も両足の生類であり、人間になってはじめて仏さまの教えに触れることができるということです。

世界には様々な宗教があります。その中には、神を絶対無二の存在として捉え、人間と峻別しているものもあります。かたや仏教は、私たちのような凡夫でも修行によって仏になれると説いています。「成仏」とは、文字通り私たち自身が「仏と成る」ことを意味しています。

では、その仏さまとはどこにあるかといいますと、「己心即仏(こしんそくぶつ)」、自分の心がそのまま仏であるということなのです。そうはいっても、日常、この仏さまはなかなか現れてはくれません。それ故、この心の仏さまを現すために、自分を大切にして、修養に努めなければならないのです。だからといって何も厳しい修行をしなければならないということではありません。困っている人に手を差し伸べるなど、そうした日々の小さな善行や温かい気持ちこそ、心の中の仏さまを現すことなのです。よく、慈愛に溢れた人を、「仏さまみたいな人だ」ということがあります。その人の内なる仏さまを周りの人が感じ取り、このように語られるのでしょう。やさしい気持ちになったり、善い行いをしているときは、心の中にいる仏さまがお歩きになって、無言の内に私たちを導いてくれています。そしてその仏さまこそ、「私」に他ならないのです。