善光寺法話

第8回 参道の石畳

“初雪や 雪駄ならして善光寺” ―― 小林一茶

 

昔から善光寺の僧侶は、雪が降ると「雪帽子」というマントのようなものを頭からすっぽりと被り、「雪下駄」という爪革のついた下駄を履いてご本堂に出仕いたします。雪帽子は今では善光寺でしか見られない珍しいもののようです。僧侶がうっすらと雪の積もった石畳の上を、転ばないように小股で歩いて行きます。その時、カラコロカラコロと雪下駄の音が響きます。江戸時代と変わらぬ、冬の善光寺独特の景色です。

仁王門から善光寺本堂までの、長さ約450m、幅約8mの一直線に伸びた参道には石畳が敷かれています。俗に7,777枚あるといわれています。この石畳の内、山門下から仁王門までの間は、正徳2年(1712)、江戸中橋の富商・大竹屋平兵衛の金300両の寄進によって整備され、また、山門上からご本堂までの間は、正徳3年(1713)に西光寺欣誉単求の寄進によって敷設されました。さて、大竹屋平兵衛については次のような伝承が残されています。

平兵衛には一人息子がいました。しかし、その息子はほとんど家にも寄りつかず、放蕩の限りを尽くしていたので、平兵衛は勘当し家から追い出してしまいました。ある月夜の晩、息子は遊ぶ金欲しさに大竹屋に忍び込みました。物音に気がついた平兵衛は、息子を盗賊と思い、槍で突き殺してしまいました。明かりを点けて見てみれば我が息子。平兵衛は世の無常・因果の恐ろしさを感じ、息子の菩提を弔うために善光寺へ参詣しました。当時の参道は土のままで、雨が降れば足もとが悪くなり、参拝者は難儀していました。そこで、平兵衛は自分と同じように善光寺へ参拝にくる人のためになるよう、門前に敷石を寄進し、その功徳を息子への供養としたのでした。

これまで数え切れない善男善女が参拝されたことでしょう。参道の敷石は、ノミで切り出されたため、本来凸凹していました。それが多くの方々に踏まれることで、今ではつるつるに磨かれたようになっています。今日も、善光寺へお参りにいらっしゃる方々の足下を、平兵衛の思いが支えてくれています。