善光寺法話

第4回 お戒壇巡り

お戒壇巡り入口

▲お戒壇巡り入口

善光寺へお詣りされますと、色々と思い出を残されることでしょう。中でも、お戒壇巡りは印象の強いものの一つでしょう。

お戒壇の、一寸先も見えない暗闇の中を手探りで進み、やがて御本尊様の真下に懸かる「極楽のお錠前」に触れて出てきた時、最初に目にするのが出口から射し込んでいる光です。本堂の中は薄暗く、光も大変弱いものです。しかし、目の前にそのわずかな光を見る時、ほっと安堵の思いをいたすことでしょう。普段は感ずることのない、光のありがたさ、目の見える尊さを覚えることでしょう。

お戒壇巡りは、秘仏の御本尊様の下を巡って、仏様の分身ともいえるお錠前に触れることによりまして、仏様と縁を結び極楽往生のお約束をいただき、私たちが本来持っている仏縁の種を大切に育ててゆくことを仏様にお誓いする「行」であります。

数十年前までは、経帷子(きょうかたびら)を着て草鞋(わらじ)を履き、手には白木の念珠をし、口には「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱え、死出の旅路の装束でお戒壇巡りをする風習がありました。これは、善光寺で極楽往生のお約束をいただき、いざ今生の別れを迎える時、その装束をして極楽へお連れいただくためのものでした。

お戒壇の中の暗闇は、無差別平等の世界をあらわしているものとされております。私たちは、日頃、余計なものに眼を奪われて、ものの本質を見誤ったり、争ったり、嫉妬したり、むさぼったりして、結果は悩みに陥るのです。ところが、暗闇の中では、私たちは種々のとらわれの心を離れ、極楽のお錠前を探し当てることに専心します。つまり、仏様の世界に入って行くことができるのです。

私たちのこころの中には仏になる種が植えられています。仏種(ぶっしゅ)とも仏性(ぶっしょう)とも申します。ダイヤモンドは最初から光り輝いている訳ではありません。原石に磨きをかけることで美しい輝きを放つのです。私たちのこころも同様です。お戒壇巡りをしていただくと、眼の不自由な方の日々の苦しみ、不安をご理解いただけることと思います。そうした方々に手を差し伸べる、そんなわずかな親切が、心の仏種に水をくれることなのです。日常の小さな親切、思いやりの精神こそ、こころの中にあるダイヤモンドの原石を磨くことに他なりません。

お戒壇巡りをされる際には、阿弥陀如来様からご縁をいただくことで、皆様のこころの中にある「仏となる種」を大きく育てているのだ、という気持ちでお参りされますと、より一層有意義なものとなるのではないでしょうか。